CONPAL

サブカルチャー風呂に浸かりながらツラツラ文字書いてます。

そうして僕は朝陽を目にした[ゼルダの伝説 BotWレビュー]

じんわりと赤が滲むような空。
光が反射して、その青い光を照り返す海。
木々の影、朝露に濡れる草の光も相まって、眼下の全てが神聖に映った。

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ああ、この光景のなんと美しいことか。目的も忘れて、ひたすら朝陽を眺めていた。
今日から僕の価値観は、この景色を知っている人間と、知らない人間に区分けされてしまうだろう。それほどの体験を、まさかこの世界でできるとは。

 

BotW発売から随分と経過したが、やはりこのゲームは面白い。すぎるといっても足りないくらいだ。
発売当初から「10年に一本の作品」、「ゲーム史に名を残す名作」と、各種メディアに評されており、今なお酷評は少ないと感じる。
「持ち上げ過ぎなんじゃないか」という感想もあったが、きっとゲームジャンルが何かに傾倒してしまっているのだろう。
(例えば、洋ゲ―のオブリビオンやスカイリム的世界を体験し、ファンタジーチックなゲームという意味合いで混同してしまっている人は視点が違う可能性がある)
少なくとも、ゲームと言うカルチャーを体験してきた人間であれば、BotWは人生でプレイすべき一作である。
これは心酔したプレイヤーの誇張等では無く、紛れもなく事実だ。

 

もう既に多くの記事がかかれているが、この感動は記事にしたくなる内容だった。

 

きっかけは上の方に祠が見えたから、というだけだった。
ゲーム内時間では深夜3時も過ぎた頃。リアルもちょうど3時ごろだった。
静まり返る海沿いで一人、ろくな装備も無いまま崖の際を歩いていた。

身体能力には自信がある。100年もの間眠りについていたが、この体は若い時のまま。自在に操ることが出来た。
普段は命綱も無しにロッククライミングを敢行するのだが、少しだけ雨が降ったために岩場は滑る。
流石に恵まれた身体であろうとも、滑る岩場を登ることは困難だ。
たまには地道に足場を踏みしめるのも良いだろうと、濡れる原っぱを駆けた。

崖の際と書いたが、ハテール海に面するその崖の内は山道のそれと同じだ。
うっかり余所見をすると祠を見失ってしまいそうな気がしたので、常に視線は祠向き。
道中、適当な牛や羊を狩りながら、ひたすら上を目指した。

しばらくそうして上に向かって駆けていると、ふと空の色が変わったことに気付いた。

時刻はゲーム内時間で6時を回っていた。
普段、低い高度で活動しているときには「もう朝になるのか」と時間の変遷を感じる程度なのだが、今日はやけに色が強く映ったのだ。
そう言えば、今時分がいる場所は南東の海沿いだ。日の入りが見える場所ではないだろうか。

陽の方向を探すために、立ち止まってキョロと辺りを見渡した。
海の方に目を向ける。すると、僕は思わず「おお」と感嘆の声を漏らしてしまった。

ハテールの海から強い赤を放つ日と、応対するように赤く染まる空。
あの忌々しい赤月の晩の空とは違う、神々しさがそこにはあった。
陽の光を浴びて、身体がじわりと熱くなる。強烈なパワーを注ぎ込まれているかのようだ。
下に目線を落とせば、ハテールの海の透き通るような翠玉が、陽の光に反射してボヤッと広がっている。
あまりの美しさに、僕は本来の目的すらも忘れて、よりよく見える場所を探し、上へと登った。

徐々に登る陽は空の様相をどんどんと変え、澄み渡る青空が見えるようになる。

光も強くなり、海の色も変わってくる。僕は崖のギリギリに経ち、陽の光を全身に浴びた。
ハテールの海が運ぶ潮の香り、足元に広がる草原の青い匂いが、ほのかにしたような気がした。

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もちろんこれは現実の光景ではない。

Nintendo Switchの、一本のゲームソフトの中のグラフィックの話だ。
しかしながら、その衝撃は現実での体験と相違のないものであった。

 

随分昔に、現実で海辺から日が昇る瞬間を観たことがある。
朝方の海は寒い。早く起きた事もあって、随分と身体もダルい。潮風にされされる身体はベタついている。
温かい寝袋に入って、もう一眠りしたい。あわよくばシャワーも浴びたい。そう思いながらも、その瞬間を待つのだ。
徐々に上げっていく陽の光の美しさは、それらと相まってその景色のありがたさを感じることが出来る。
光を浴びることで、何かパワーを注がれるような感覚も覚えた。
一通り上がってしまえばいつもどおりの空なのだが、やはり日の入りの瞬間はいつ観ても美しいものだと思う。

 

それを、Nintendo Switchの小さな画面で、ゲーム内のグラフィックで、あの体験と同じ衝撃を感じられるとは、想像すらしていなかった。
確かに面白いゲームだと思っていた。謎解き一つとっても、計算され尽くしている。
しかしながら、ゲーム的な面白さだけが評価の対象ではないことに気付いた。

 

ゲームのグラフィックは年々向上している。
つい最近では、人喰いの大鷲トリコやFF15なんかは、あまりの美麗さに目を見張ったものだ。
良いグラフィックに慣れている世代はコレが普通になっていることが恐ろしい。
古いゲームを知っている筆者としては、ほとんど現実と遜色の無いように感じてしまった。
勿論ゲームだと理解はしているが、コレがゲームだとは感じづらい。それほどのクオリティに昇華されている。
だが、景色の美しさの表現においては、グラフィックの良さとは別のベクトルであるように思う。

 

そういう意味において、Naughty Dog社のラストオブアスはBotWに近い体験をした記憶がある。
その退廃的な景色の全てが美しく、ポストアポプリカスなアメリカの街は、ついつい時間をかけて周囲を歩いてしまった。

近代のアメリカの景色が強く残る建物に、草木や蔦が巻き付いている。

コンクリートはボロボロに剥がれ、建物の中にすら緑が生えている。

その光景が恐ろしくも、やけに美しいのだ。

ただでさえ出現個数の少ないアイテム。散策をしなければならない状況に追い込まれ、かついつ襲撃があるかわからないような状態が続く。
その緊迫感も相まって、散策が非常に捗るゲームだった。
まれに目線を集中させる表現が入るが、そうすることで自然と周囲の光景を見つめることができるのも良い演出だ。

 

BotWは視線を集中させるような表現は無いが、集中したくなるようなゲームであることには間違いない。
例えば、試練の祠を探すときに、上から見下ろして探す人は多いと思う。
眼下に広がる世界の情報量が凄まじく、祠を探していたはずなのに、「あれはなんだ?」と興味を惹かれる建造物が多いのだ。
その体験をしてしまったユーザーは、高いところに行くたびに眼下を見下ろして、ぐるりと周囲を観るようになる。

 

ゲームのカテゴリもジャンルもテーマも、対局に位置するような二本ではあるが、美しい景色とそれを見たくなる演出は、近いものがある。

 

BotWは「発見」が非常に多く、またそれが楽しいゲームである。
今回発見した朝陽の美しさは、きっと忘れることはない。そして、数多のプレイヤーが、僕の見た朝陽のように、また別の景色を見て同じ思いをしていることだろうと思う。

 

経験は甘い蜜の・ようなもので、一度体験してしまうと、次が欲しくなる。

もっと高いところから見たらどうなんだろう、とか、北西の方角で見る日没もまた美しいのでは、と、どんどん欲が湧いてきてしまった。
朝陽を見た後、僕はハイラルの大地を駆け回りたくなった。とにかく、見れるものは見たい。もっと美しい光景が、この世界には待っている。


現実世界では世界旅行に行くのも一苦労だ。しかし、ゲームであればお金をかけずにどこへでも行ける。見られるものを見ないのは、もったいない。
BotWの楽しみ方がまた一つ増えた僕は、ワクワクしながら未踏の大地へと目を向けた。


さあ、次はデスマウンテンにでも足を向けてみようか。

また新しい発見を探しに、僕は崖から飛び降りて、パラセールを開いて空を滑空するのだった。
あ、そうだ。祠にクライム装備を取りに来たんだったっけ・・・。また登るのは面倒くさいなあ・・・。